療育のゴールって何だろう?

療育と言う言葉もやっと広まって来ました。

発達に問題や遅れやムラのある子どもたちに対してその課題解決を行えば、彼らは「お客さん」としてではなく一人の個人として自立の方向へ進める、と言うのが療育の基本だと私は考えています。
発達そのものが一人一人大きく違うのが療育の世界、自立の程度だって当然一人一人違います。

ただでさえ大変な子育て、さらにトラブル続出だとしたら、本当にお母さんにとって子育ては大変です。
子育ての責任は片っ端から「母」にかかって来がちな日本、住みにくいです。
私も小学生を育てている母ですが、日本の中では本当に子どもを連れて歩くのは大変な苦行です。ベビーカーのまま電車に乗ろうとしてサラリーマンの方から「チッ」と舌打ちされた事もありました。子どもが電車の中であちこちあちこち歩き回っている時に笑顔の方もいましたが、同時にイヤーな目でにらむ人もいました。
たまたまウチの息子には発達のトラブルはないのですが、NPOマティスに連絡を下さるお母さんたちの母としての苦悩は充分わかります。

はっきりしたしょうがいのある子を抱えたお母さんたちの方が肝の座りが早いようです。今いる場所が分かって、そこからどうやって立ち上がれば良いのかと考えられるようになるからかもしれません。
うっすらした発達のトラブルや、できる事とできない事の差の激しい子たちのお母さんたちの方が気持ちが揺れて苦労しています。「この子はしょうがい児ではないと思うけれど」「私のしつけが悪いのかしら」「どうしてこうなんだろう、何をすればこれがおさまるんだろう」・・・。

でも、子どもは必ず親より長生きするし、親の手を離れて一人で生きて行くべき者です。発達に問題があろうと無かろうと。「私がいなくなったらこの子はどうなるのだろう」と思い詰めて心中に至ったり子殺しに至ったりする気持ちはもう痛い程分かるのですが、ちょっと待って、と思います。
まずは自分が元気な気持ちを取り戻しましょう。
子育ての苦悩は期間限定なのだ、と思い出しましょう。一応日本だって福祉国家です。特別支援法だってある国です。自分の子どものトラブルと戦わず、戦いたい気持ちは子どもたちの明るい未来を整える事に使いましょう。だって子どもたちはいつか親の手元を離れて自立して行くものなのですから。

マティスの療育は親のケアも含みます。それはとてもよいなあ、と思います。
ストレスでへとへとで力をなくしてしまったお母さんが元気になる事で、子どもたちは安心を取り戻すでしょう。
いつも怒ってばかりのお母さんがニコニコしてきたら、子どもたちもニコニコしたくなるでしょう。
煮詰まりやすい親子の関係をダイナミックに前進させる方法の一つなんです、親が「親の仕事」から自立して一人の人間に戻って行く事は。
それは仕事を持つとか働きに出るとかではなく、子どもに寄りかからず一人の人間として日々を楽しく生きる、と言う事です。多分。