3.11東北関東地震 記録

被害に遭われた方の安全と、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
東京も大きく揺れましたが東北の大変さに比べれば全く大した事はありません。ライフラインも生きています。

地震の起きた時刻、東京駅前で名古屋大学のO先生、元トマティスジャパン社長のN氏、トマティスに昔関わっていたT氏とミーティング中でした。オアゾと言う新しいビル4Fのティールームでしたので、逆に大きく揺れるのかしら、などと話しつつ、ゆらゆら揺れるぶら下がり式照明を店員さんがさりげなく抑え、しかし長い横揺れ、大きい、大きいっ!! と言う状態。窓際の人たちがさすがに立ち上がって中に寄り、収まるまで、ほんの1分程度でしょうが凍り付く一同。
ケータイ、繋がらず、自宅に残して来た今日は不調で休んでいる息子もとても気になります。一人でこの体験ではパニックだろうからダッシュで帰宅するしかないが夫がまだ家にいる時間のはず、と思いつつ時々ケータイで自宅と夫ケータイに連絡を入れつつ、しかし話し始めた所でしたのでまあまだ少し、と言う気持ち。館内の放送によると震源は東北、東京の震度は5強。それについて話しているうちに夫とは連絡が付き、えらいことになっているが電車が止まっている事と自分は家にいる事にした、と言ってくれましたので、まあそれはOK。窓の外、遠くで黒煙。海の方でしょうか。N氏は事務所がえらいことになっているとここで退出。
珈琲のオカワリを頼んでさてもう少し話を、と思っていると今度は下からとんとんとんとんと突き上げる衝撃。しかもまた長くて大きい。
これが止まると、ビルを閉鎖するので全員非常階段から退出して下さい、との放送。この中なら安全と思っていたのに、と言う気持ちでしたが、この時点ではこれほどの事になるとは思っていませんでした。
T氏は車で来ていたのでここでお別れ。高速はおそらく動いていないはずだから、時間がかかると読んだのでしょう。しかしO先生と私は駅まで行っても電車の動いていない者同士、まあ動き出すまで1時間くらい話しましょうか、帰宅ラッシュ前に電車が動けばよし、動かなくても私は家まで歩き出せば1時間で大体着くはずだし、と自宅にまたケータイで連絡を入れ(繋がりました)、6時くらいに帰宅予定、と伝えてまた開いているティールームへ。
マティスメソッドの実践者であるO先生と初めて時間が取れたので、色々伺いたいこともあり、様々な話をして4時半。駅前の混雑は10倍にふくれあがっていました。バスは動いているので長蛇の列。タクシー乗り場も見た事無いほどの列。地下鉄JR全線ストップ。
とは言え西に帰られる先生、夜まで待ってみます、と仰るので駅で御礼を言って別れ、私は徒歩帰宅。
既に歩き始めている人がずいぶんいました。ヘルメットをかぶって歩いている人もそれほど恥ずかしくなさそうでした。歩き出してから最初のコンピニで補給。お茶500ml,ティッシュ、ウエットティッシュ、菓子パン甘いのとしょっぱいの合計3個、ケータイ充電器1個。1時間で帰れるのでこれで充分。買い占めずに次の人まで残す事は必要です。おにぎりはすでに売り切れ、お弁当はまだいくつか、と言う状態でした。
数回で自宅の電話に繋がり、歩いて帰る旨を伝えると太平洋側は津波が大変な事になっている、と夫情報。東京も来るとしたら、海から離れて歩くべきか、と考えつつ皇居前お堀を右に見ながら南下します。
人はたくさん歩いていました。日比谷公園辺りでは振り袖姿の一群もいて、卒業式だったのでしょう。大きいホテルのロビーは混雑しています。建物内のどのTVにも人が群がっていました。◎TTのビルがあり、中のTVに人がたかっていたのでトイレを借りられないかと訊いてみた所、建物内になるので、と断られました。企業としての姿勢が出ます。そのまま南下し新橋駅のラインで一応津波警戒として右折、内陸に近い方に入り、ドトールでトイレを借り、大勢の人とともに歩きながら愛宕山神社の辺りから東京プリンス、東京タワー足下、赤羽橋、慶応大学横、と帰りました。55分。〆は止まっているエレベーターのために9階まで徒歩で。

病院での帰宅難民が多そうでした、無線でタクシーを呼んでもほぼ応じてもらえなかった様子。
都内全てのタクシーがお客を載せて走っていました。バブルの頃以来の光景。
バスは動いていましたのでバス停に長蛇の列。けれど始発で既に満員ですので途中から乗る事は難しいようでした。
おまわりさんが道案内に追われていましたが、スマートフォンのマップで道を確かめつつ歩く若者、プリントアウトして来た地図を見ている人も多かったです。
コンビニはまだ開いており、物資不足のパニックはなし。カフェの店員などもまだ帰れないなら働こう、と言う感じでしたし、居酒屋なども開店の時刻で、電車動くまで飲もうか、と言う感じのサラリーマンも多く見受けられました。
東京は、ホント、大した事無かったんです。電車が止まった事といくつかの建物のトラブル以外は。

帰って、息子の無事を確かめ、夫の在宅に感謝し、あちこちで落下している物を見て、初めて地震の規模が今まで経験したものの比ではない事に気付きました。ここのこれがここまで飛んでいると言う事はもの凄くスイングしたと言う事だ、あっちのこれがここにあると言う事はこの動きでこう飛ばされたのか、と。けれど倒れた棚は無く、われた皿も出ず、運が良かったと思います。
それからやっとテレビを見て、初めて事の大きさに愕然としました。
帰宅難民になった若い友人を一人保護し現在二日目です。

本当に亡くなられた方のご冥福を。
今まだ恐怖の時間を過ごしている方々に1日も早く安心が訪れますように。
心からお祈りいたします。